 |
 |
活弁と聞くと、多くの人が「べべん、べんべんね」と答えるか、「なにそれ?」と首を傾げる。張り扇で机を叩くのは講談で、活弁は違う。それだけ知られていない芸能だが、最近の活弁は、けっこう元気である。
「活弁」とは、「活動大写真の弁士」、あるいは「弁士つき活動大写真」のこと。
いわゆる生の語りつきの無声映画上映で、明治の後半から昭和初期にかけての映画草創期[無声映画時代]、語り物文化の成熟した日本で、独特に発達した芸能である。他国でも説明者がいなかったわけではないが、語り手によって映画の人気や上映館の客入りを左右するほど弁士の役割の比重が大きかったのは、日本だけである。当時の映画館では、スクリーンの近くに弁士と楽団がいて、語りも音楽も生で映画を観ていた。映画に音がつくようになってから弁士の需要はなくなり、「活弁」は、一部の無声映画ファンに懐かしさを提供するかたちで、「伝統芸能」の域にも、「演劇」「映画」、どのジャンルにも属しきれぬまま、細々と受け継がれてきた。
今、私が活弁の定期ライブをおこなっているのは、銀座、渋谷、新宿。どこもカフェやバーといった、現代とレトロの中間的空間である。最初は「活弁?
なに?」という感じだったが、毎月の上映会が1年以上になり、活弁体験を非常に新鮮に受け取り、感動してくれる若者が多くなった。特に面白いのは、毎回、さまざまなミュージシャンたちのオリジナル曲で生演奏上映している渋谷のカフェ。昔ながらの和洋合奏ではなく、ギターやベース、シンセ、パーカッション、ハーモニカや民族楽器、
それぞれに独創性があって、しかも不思議と映像にマッチする。主題歌までつくってくれたミュージシャンもいて、大好評だった。それだけ、無声映画は懐が深く、料理して楽しい素材なのである。私自身も、もちろん昔ながらの語り口調も大事にしながら、その時代を知らないわれわれ同世代の若者が受け入れやすい言葉を選び、台本をつくって語る。もう1つ、渋谷のライブは、環境NPOの企画協力で、地域通貨が使え、入場料の一部が環境保護活動に寄付されるという仕組みになっている。デジタルなものが溢れ、スローライフが見直されてきている中、そうしたさまざまな活動と変幻自在に結びつきながら、芸術文化の浸透を図っていく可能性と必要性が、われわれ世代の「活弁」にはあると思っている。
現代の活動弁士の役割は、多少リアルタイムとは違う。無声映画という、ある時代の映像芸術を、新たなセリフや語りによって現代の芸術として、エンターテインメントとして甦らせていくことである。往年の名監督や名優たちによる映画作品そのものの感動と、当時の世界中の歴史や文化に触れる機会と、現代に生きる受け手・語り手としての私やミュージシャンたちの創造性と、「活弁」という昔の映画上映形態、これらすべてを味わってもらえる空間を提供しつづけていきたい。だが、思いはあってもそのままでは消えていく文化、一朝一夕にはいかないし、労力のかかることである。観て、感じて、この映画と語りが融合した日本独自の芸術文化を理解し、支援してくださる方が1人でも増えてくださることを願ってやまない。
|